Obsidianの遊びかた 3


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戦争・美空ひばり・百円・葬式・ビル・ヤクザ。
この単語たちはリンクで結ばれていないが、並べて表示されると意味が浮かび上がってくる。
美空ひばりとヤクザが同一画面に、というのもドキドキするが、二者間に葬式という単語が挟まることで含みが生まれている。

Obsidianのグラフビュー上では、リンクした単語同士が磁石のように反発する。その結果、あちこちで反発した単語が隣り合うことになる。
その配置にどれだけ偶然性が絡んでいるのか、自分にはよくわかっていない。ただ、全て自分が入力した単語で、全て自分が(別の単語と)結んだリンクを、Obsidian内の慣性でビリヤードのように弾いた結果なので、思ったよりも偶然性は低いような気がしている。

グラフビュー上ではこういうことが頻繁に起こる。
最初は驚いていたけれど、落ち着いてみればObsidianは自ら『第二の脳』を謳っている通りの働きをしただけだ。
脳内の単語同士が自分に心地よく結びつけば、報酬系が作動し、その結びつきは強化される。
それらの働きが一旦『第二の脳』に出力され、フィードバックでこちらの脳内にある報酬系が作動し、一連の流れは思い出としてキャプチャされる。

結局は脳内で常に起こり続けていることのほんのひとかけらを第二の脳に出力したに過ぎず、この行為を挟むことで脳の動きとしては壊滅的な非効率となるが、この流れが可視化されることで報酬系は再び作動する。

つまり、楽しい。

これをゲームと呼んでいいのか、まだ落ち着いて考えられない。
しかし、少なくとも無目的にスマートフォンをいじって楽しんでいるのは、はたから見ればゲームで遊んでいるようにしか見えないはずだ。