Obsidianの遊びかた 1


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そもそもObsidianはゲームではないので、 遊びかたもなにもないのだが、 あくまで自分が遊ぶ場合はこのような感じになる。

・ファイルを作成する
・ファイルにタイトルをつける
・ファイルにリンクをつける

以上の三つだけ。これをひたすら繰り返すのだ。
メモアプリなので、 テキスト形式のファイル内には本文をいろいろ書くことが出来る。 最初のうちはコメントを書いていたのだけど、 小賢しく思えてすぐにやめてしまった。 今はトピックを充実させることよりも、 リンクを作る素早さを重視している。
Obsidianの素晴らしい点は、ファイル作成→ タイトル→リンクの段取りがめちゃくちゃスピーディーで、 どんどん次へ行けるところだ。

リンクを作る「素早さ」は、 行為に思考を挟まないためにはとても重要だ。
できるだけボーッと、しょうもない連想が浮かんだら、 それがリンクの言葉兼、次のファイル名となる。

要はフロイト自由連想法だ。
しかし治療目的ではないので、潜在意識にも抑圧にも注視しない。 マーケティング用途もない。正解もゴールもないので、 ただただボーッと連想を続け、それを記録し続けるだけだ。 自分が納得できるリンクなら何だっていい。

最初のうちは、そこに意味や目的、 もしくは自分の個性を挟もうとしてしまう。 頭の良さそうなボキャブラリーや、ひねりの効いたリンクなど、 自分的なファインプレーをかましたくなる。
しかしファイル数が増えてくると、 だんだんそういうことはどうでもよくなってくる。 おそらくは百個もリンクを作れば、 出てくる連想は退屈で陳腐なものになってくるはずだ。 実はその陳腐さ、気楽さがとても重要で、「こうしてやりたい」 というバイアスがかかると、すぐに手が止まってしまう。 延々と自転車操業のように連想を続けることがこのゲームにおける「 プレイ」なのだ。簡単な言葉ほどプレイは続く。

(例: 山→川→水→飲む→ジュース→オレンジ→色→青→空)

この例では道は一本だが、それぞれの言葉からリンクを発展させ、 好きなように繋がりを広げてゆく。上記の例では『色』 からのリンクは『青』だけだが、他にも『赤』『黄』『緑』など、 無数の分岐を作れる。

しかし、人は可能性が無限だと投げ出してしまう。
それを防止するために、自分だけの曖昧なルールを決めている。
不思議なもので、 過去作成したファイルはほとんど頭の片隅に残っているようだ。 現在1500ほどのリンクを作成したが、連想をするうちに、 必ずどこかで以前作成したリンクに戻る。そんな時は「 円が閉じた」と解釈して、 また別の言葉から別のリンクを作ってゆく。

こういったあたりの個人内ローカルルールはどういう形でもいい。 ノールールでやれれば一番いいのだろうけど、 完全な自由はたぶん続かない。
ゲームを成立させるために自分で勝手なルールを決め、 時にはそれを破ったり反故にしたり、好き勝手にやると楽しい。 誰にも叱られない。

そうこうしているうちにファイルとリンクの数は増え続ける。
Obsidianはそれを平面上で俯瞰できるのだ。 そこからが本番だ。