遅れてきた『競争』

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中心主義に反旗を翻すため、第二の『人間』(現時点で最多被リンク語)に勝る引力を獲得すべく、強引に作成した『闘争開始』なる単語にひたすらリンクを集中させている。

しかし中心主義の引力は思いの外強く、単語『闘争開始』はまだグラフビュー上では埋もれたままとなっており、人為的に「指で引っ張って」円の外に連れ出さないと、レジスタンスとしての辺境ポジショニングすら果たせないのが現状だ。保護者の援助がないと己の立ち位置すら危ういというのは抵抗勢力としてあまりにも心もとなく、それ故に当方第一の脳に、薄い愛情めいたものも芽生え始めている。単語『闘争開始』の周囲には鼻息の荒い言葉たちがリンクされているが、現時点では前述の心もとなさにより、その鼻息の荒さすら可愛気に変換されている。いとおしい。支援者としては出来る限りの援助を続けるつもりだ。

以前の投稿でロジェ・カイヨワを引き合いに出したが、その際、氏が提唱する遊びの4分類、『競争』『偶然』『模倣』『眩暈』のうち、このゲームに『競争』は当てはまらないと書いた。

しかし現状はどうだ。ノールールの平和世界に、プレイヤー自らが『競争』を持込み、それまでの秩序に破壊工作を仕掛けている。しかも現状では敗色濃厚で、それなりのインチキ工作を仕掛けているにも関わらず、正直勝てる気が全くしていないという体たらく。

「自作自演の世界なのに、作者がインチキの反乱を仕掛けても治安維持は揺るがない」

ことが思い通りにならないと知った途端、Obsidianの世界に既存の意味での「ゲーム性」が浮かんできた。
今こちらが無理矢理結んでいるリンク群は、人工国家のように「イデオロギーの為には多少のアレも厭わない」という精神性の元に組み上げられている。

自作自演の世界がゆっくり傾き始めた。これは「おもしろさ」の始まりなのか、それとも単なる秩序崩壊なのか。