癒やさないカウンセラー・リーディングしない占い師



f:id:ntu:20211219100832j:image

良いカウンセラーの条件は個性を出さないことだと思っていて、その点においてObsidianは最高のカウンセラーといえる。
といっても、Obsidianはメモアプリなので、何も考えていない。
何も考えていないものに意志を感じ始めたらいよいよヤバい兆候だが、その境界線上に面白さがあるのもまた事実だろう。

占いとカウンセリングを同列に語るのは双方から叱られそうだが、無知の強みで書いてみる。Obsidianが形どった星雲に目をこらせば、そこにはかつて自分が入力した単語が並んでいるだけだが、この、目の前に自分の断片が、ポン、ポン、と適当に置かれている感じは、良いカウンセリングを受けた感覚や、洞察力に長けた占い師が置く言葉の感覚と似ている。

ただ、カウンセラーや占い師も人間である以上、どうしても自意識の垢をゼロにはできない。というか、実際は肥大化した自意識に振り回されている人が多数を占めている。自称カウンセラー、自称占い師という単語から漂うヤバさが現状を象徴している。

Obsidianには自我はないので、怪しさが全くない。それが自分にとっては気持ちいい。
そこに置かれた言葉も、時間差で見返して「そうなのか」と思うだけだ。
関連性を自分で結べる並びであればそれも一興だが、良くも悪くも人情のベタつきがない以上、Obsidianというメモアプリが提示した(と錯覚する)ものは、こちらの内側に接着はされない。

 

『真に純粋な発見は、何の役にも立たないものだ』

 

格言めいたものを書いてみたが、もちろん、全く意味はない。
単語数は現在2300。まだアプリは正常に動いている。