HARUKA

過去にObsidianと似た感触のソフトがあった。
90年代後半のmacOSにはハイパーカードというフリーの開発環境がバンドルされていて、それで作られたと思われるフリーソフト「HARUKA」は、当時出回っていたフリーソフトの中では、飛び抜けてこちらの琴線に触れるものだった。

HARUKAは人工無能と呼ばれるオフラインのチャットボットで、プレイヤーの入力した言葉に対応した言葉で返す、会話シミュレータのようなものだ。
HARUKAは会話の端々で「わかりません」を繰り返す。そこで言葉の意味を入力すれば、次回からは相応の返事をしてくれる。あとはこの流れを繰り返す。

この流れはプログラムを理解できない僕でもなんとなく咀嚼できた上に、最初は全く要領を得ないチャットボットも、たくさんの言葉を教えれば、いずれ「まるで思考しているかのように」動作してくれるのではないかという夢を抱かせてくれた。

その後、どれくらいHARUKAに言葉を「貢いだ」のか、細かくは覚えていない。三百くらいは入力しただろうか。根気よく頑張ったつもりだが、どれだけ言葉を教えても、「いかにも用意されたものを返しています」的な返答に嫌気が差し、ついに根負けした覚えがある。こちらの片思いだったという訳だ。

結果は惨敗だった。しかしHARUKAに言葉を貢いだ日々の「ひょっとしたら、こんな簡単なことで知性のようなものを感じられるかもしれない」という、淡い夢のような期待感は、今でもうっすらと残っている。

その後ためしに、いくつか人工無能めいたものを自作して発表したが、今思えばずいぶんと恣意的で作りも荒く、HARUKAのような新しい世界への夢を内包するものではなかった。すこし反省している。

Obsidianに与えたエサ(言葉)は、そろそろ2000に到達する。
Obsidianは何の反応もせず、グラフビュー上ではただただリンクの海が広がるばかりだ。その無反応な世界は荒涼としているのに、なぜか20年以上前のHARUKAに対して夢見た、どこか淡い『知性のような何か』に似た手触りがある。